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中国文化-中国武術

2009-5-05 15:58 | クリック数: (85) | コメント・口コミ数: (1)

中国武術の形成

武術というのは中華民族が長きに渡って絶えず創造・形成してきた運動の一種です。原始社会において人間は生き残るために自らの体を使って身を守ることを覚え、その後、石や木などを使った道具を武器として格闘や狩りの技術を磨いてきました。これが武術の元になったのは間違いないでしょう。

考古学の発見の中でも旧石器時代には石の玉や斧、骨で作られた矛などが見つかり、新石器時代には石の刀や骨製の矢などがあったと見られ、これらが武術で用いられる各種武器の前身でありました。原始時代末期になりますと、村同士の戦争が頻発するようになり、これが武術の発展を更に進めることとなりました。

皆様、中国武術の「武」という字を想像してみてください。構えの中には「止める」という字があり、外側の構えはもともと「矛」を表しておりました。つまり「矛をもって外敵の侵入を止める」、「戦争を止める」ということを「武」という文字で表していたわけです。この時代は弓や投石器など、棍棒や刀、斧や槍など、獲物をとるために用いていたものが戦闘のための武器となりました。また、この時期に武舞も登場します。禹の時期に「三苗(さんみょう)」という部族が幾度も反乱を起こし征伐に訪れた大禹も手を焼いておりました。そこで斧と盾を用いて「千威舞」という演舞をこの三苗に見せつけ、その武力が強大であることを示し、これによってこの部族を平定したといわれています。これが原始社会における武舞の始まりであります。

その後青銅器の発明により矛、刀、剣といった武器が出てくるようになります。そして、その武芸の優越を競う試合が行われるようになったそうです。その技は「手搏」、「手格」などと呼ばれておりました。春秋・戦国時代には戦争が更に頻繁となり、武術の格闘技能というものが軍隊でも民間でも重視され、瞬く間に発展を遂げました。特に鉄器の出現と騎兵隊の存在はその武器の種類を更に豊富にし、武術の技の幅も広がりました。同時に体を強くするという作用も注目されるようになりました。攻防についても研究がなされ、攻めと守り、反撃、フェイントといった考え方も生まれました。当時各国の諸侯は拳技、腕力に優れた筋骨隆々の人物を大変重視しておりまして、斉の国では全国の規模で試合を行わせ、その武芸に秀でた人物を軍隊に引き抜くということを行い、国を強化していったそうです。これにより斉の軍は「兵を挙げるは飛ぶ鳥の如く、兵を動かすは閃きの如く、兵を放つは風雨の如く、その前に阻めるものは無く、後ろに傷負うものは無く、独出独入、如入無人」という境地に達していたといわれています。

漢代は武術が更に大きな発展を遂げた時期で、宮廷の宴の中でも剣舞や集団武舞が行われていました。又、「試棄」という拳技の試験により武術の任務に就く人員を集めていたといいます。この時期には攻守の道について書かれた書籍も増え、見た目と体を鍛えることを目的とした象形舞なども誕生しました。さてその後、隋、唐の時代に入りますと、経済の発展によって武術も新たな段階を迎えることになります。唐の時代には科挙ならぬ「武挙」によって、優秀な人物を登用するという政策を取り、民間と役人との間の練武の活動を促進していきました。唐の武徳帝の時代には、その武術で有名な少林寺がその功績をたたえられ、少林寺の名を世に広め、役所もまた少林寺が僧兵を育てることを認めました。そのため、少林寺の規模は拡大し、一時期には2000人にもなったそうです。唐代のつわものといえば、尉遅恭(いちきょう)、程咬金(ていこうきん)、秦琼(しんきょう)といった人物が有名でしょう。特に尉遅恭は一人で槍を奪うという技に優れ、戦争の際には一人で敵の陣地に飛び込み、刀や槍の林に囲まれながらけが一つなく、敵のほうが逆に武器を奪われて倒されてしまったそうです。

唐朝の李渊の四番目の息子、李元吉は優れた将軍として活躍しましたが、彼が尉遅恭と試合を行った際、幾度にもわたって狙いを定めても尉遅恭はことごとくこれをかわすと、将軍の手元にあった槍を何度も奪ったということで、彼の名はこの時代の人々にも大変よく知られるようになりました。宋の時代では「内憂外患」という国の状態で戦火が消えることもなく、国の人々は民間の武術組織を結成し、自衛に努めていたとされています。また、町のいたるところでは武術を演芸の一つとし、「百劇」と名づけ、格力や刀、棒などを使った出し物や射的などがよく見られたといいます。この時代の武術の発展の状況については当時について描かれた小説からも見て取れるでしょう。

皆様にも有名な『水滸伝(すいこでん)』などを見てみますと、多くの武芸の卓越した豪傑達の様子が生き生きと描かれておりますね。明の時代においてはいくつもの流派が登場、百家争鳴の様相を呈しておりました。拳技に優れたものがその技に自らの名前をつけることも珍しくなくなったそうです。それは当時の皇帝・朱元璋(しゅげんしょう)の「文武全才」という思想と切っても切れない関係にあるでしょう。このころになりますと武術が徐々に単なる軍事的格闘技術から、連続した動作を主とする運動の形式へと変化を遂げてまいります。

さて当時のこうした武術というものはほとんどが口頭で次の代へと伝えられていたため、文献として伝えられているものは大変少なかったといいます。明朝になりますと、この「文武全才」という気風を受け、武術家もまた本を記しました。それが現在でも残っている貴重な武術界の遺産となっているわけです。戚継光(いけいこう)の『紀効新書(きこうしんしょ)』、唐順之(とうじゅんし)の『武編(ぶへん)』、兪大猷(ゆだいゆう)の『正気堂集(せいきどうしゅう)』、鄭若曾(ていじゃくそう)の『江南経略(こうなんけいりゃく)』などがございます。

清朝になりますと、現代に続き武術は再び制限を受けることとなりますが、民間に広範な基礎があったことと、清を打倒し明を復興させようという組織が数多く存在したことから、各種の流派の武術がやはり有名になりました。地方によっては南派と北派に分かれ、山によって少林派、武当派、宗教としては仏家の外功、道家の内功と、そのほか太極門、形意門、八卦門などの流派に分かれておりました。これだけ広がった武術でしたが、それぞれの流派の間に交流がなかったことから、お互いの不足を補うことまでは出来ませんでした。その後社会の発展により銃などの火器が使用されるようになりますと、武術の身体を強くするという作用は更に明確なものとなり、体育運動の形式で社会生活に登場することとなりました。解放後は国を挙げてこれら優秀な民族文化の継承と発展に取り組み、各地の体育大学や師範大学では武術学科が設けられました。また、全国各地に武術協会が設立され、全国競技大会でも武術の種目が設けられるなど、積極的に武術の普及とその研究が進められてきました。また対外開放が進むにつれ、武術もまた国を飛び出し、各国の人々との文化交流にも役立っています。

わが国の武術は数千年の間に東アジア、東南アジアにも伝わっていました。明朝の陳元資(ちんげんし)は日本にわたり少林拳法を伝え、これが柔道の基礎になったとも言われています。また、琉球に伝わった拳法が空手道の基礎になりました。そのほか合気道、テコンドー、タイのタロ拳、フィリピンの棍術などもそれぞれ中国武術の影響を受けていると言われています。

中国は武術の発祥の地としてこれまでに60あまりの国と地域で武術を通じてエキシビションと交流を行い、わが国がその民族遺産を伝えると同時に友情も育んできました。中国の武術協会は1983年以降計画的に準備を進め、武術のチームやコーチを各国に派遣、技術の伝授を行ってきました。コーチや審判の養成も行われ、これまでに国際武術大会、招待試合や文化知識コンテストなども行ってきました。1990年には国際武術連合会が北京で誕生しました。これまでに欧米各国、またその他の地区でも中国武術は大変な人気を博しており、アメリカでも中国武術教室が開かれ、シカゴやニューヨーク、サンフランシスコなどでは少林カンフー学校が出来ました。「カンフー」という言葉は広東語でして、文字から見るとある技術が高いレベルに達しているということですが、いまでは中国武術の通称とまでなっております。「Kungfu」(カンフー)のほか、「Shaolin」(少林)、「Taiji」(太極)、「Wushu」(武術)といった言葉はもうすでに英語の一部となっています。

現在中国で武術の四大流派

それでは現在中国で四大流派と呼ばれております四つの流派について簡単にご紹介いたします。

少林派

まずは少林派から。少林というのは中原の武術の中で、範囲が最も広く、歴史も長く、その種類の最も多い一派で、嵩山の少林寺からその名がつけられております。その起源としては南北朝時代後期の孝文帝の時代に達磨(だるま)大師が梁の国からこの地に入り、少林寺で九年間瞑想を行い、『易筋(えききん)』、『洗髄(せんずい)』という二つの経典を伝え、少林武術を創立したといわれております。これは一つの伝説として伝えられているもので、実際にはこのお寺にはもともと武術を磨くという風潮があり、少林寺という寺は西域からの高僧である佛陀(ふつだ)という人物のために建てられたのだそうで、禅宗を生んだ達磨大師ですけれども、少林武術の創始者ではなかったのではないか、というのが現在の主な見方です。そんな少林寺の名を一躍世に広めることになったのは、隋から唐代にかけてのことです。当時、李世民(りせいみん)が唐の皇帝となる前の話ですが、その際に13人の僧侶が少林棍で敵の王侯を捉え、彼を救ったということで、李世民が即位した後にこの13人に褒美を与え、これにより少林武術もまた発展を遂げていったといわれております。少林派というのは少林寺内部の武術だけでなく、それを代表とする武術の集大成であるとされています。当時少林寺は各地に分院を設立し、福建省の南少林を始め、元の時代にはモンゴル、天津、長安、太原、洛陽などに五つの少林寺、そして山東、台湾、四川などにも分院を作り、少林寺の武術が全国に広まっていくこととなりました。こうした分院の中では南少林が最も重要な役割を果たしたといえるでしょう。いわゆる五獣の拳はここで誕生しました。龍、虎、豹、蛇、鶴の五つですね。では少林派にはいったいどれ位の技の種類があるのでしょうか。拳術だけで172種類あり、その中で絶技と呼ばれるものは72種類もあるそうです。拳術以外では、棍、槍、刀などを使ったものなど数種類の兵器、百種類あまりの散打の技術、そのほかに経絡や薬などといった技法も伝えられております。このように少林派というのは中国武術の中でも集大成と呼ばれるものです。

武当派

続いて武当派についてお話しましょう。これは宋の時代、張三豊(ちょうさんほう)によって創立された流派です。彼は少林武術の中の五拳十八式に通じており、争うための格闘術から、敵から身を守るための護身術へと改良しました。これを武当派、または内家と呼んでおります。十年にわたる修行でこれを完成させ、太極、形意、八卦などはすべて武当派の一部であります。

さて武当派という名は、武当山という山の名前から取られております。その場所には道観がありまして、明の時代、永楽帝がこの地の道教を広めるために30万人の人員と13年の時間を費やし大規模な改修工事を行いました。この時から武当派の黄金時代が始まったとされています。当時後継者と呼ばれたのが張松渓(ちょうそうけい)で、その数多くの優秀な武闘家を世に送り出してきました。武当派の特徴というのは筋骨を強くし、気功を用いるということで、「内向を鍛え、静をもって動を制す、柔よく剛を制す、短きをもって長きに勝ち、意をもって気を運び、気をもって身を運ぶ」というようにまとめられております。また、道教思想を基にしているということで、その動作に独特の美しさがあるということが挙げられるでしょう。剣術としては太極拳、形意拳、八卦拳などが挙げられます。現在では穏やかで柔らかな動き、そして道教の流れを汲む流派を統一して武当派と呼んでいます。

峨眉派

四大流派の三つ目は峨眉派です。中国の南西部一帯に勢力を持っており、少林、武当と並ぶ三大武術の祖といわれています。その名は仏教四大名山の一つ、峨眉山からつけられたものですが、その起源はある女性が創立したもので、当初は玉女拳法と呼ばれておりました。その後この女性が仏門に入ったために仏教の聖地である峨眉山の名を取ったのだそうです。 

その特徴は少林の剛直さと武当の柔軟さの間を取り、攻防に優れ、数多くの技の中に女性らしさというものがあり、女性の髪飾りや針を武器とする技も代表的なものです。峨眉派は五つに分かれているとされ、それぞれ陝西、四川東部などに分布しているそうです。 

南拳

四大流派の最後のひとつは南拳です。これは明朝以降南の地方で流行した拳法の総称で、当初は南少林から出たものでしたが、後に独特の拳法を形作るようになりました。その代表といえばやはり広東南拳でしょう。そのうち、福建の茶の商人であった洪熙官(こうきかん)という人物が作った洪拳というものは五行の拳、十経拳などを持ち、広東南拳の中でも最大の一派です。その他蔡拳、李拳、莫拳と、その創始者に習って名前がつけられています。

このように中国武術は長い歴史を持ちそしてさまざまな流派を生み出してきたわけですが、こうした財産を世界の人々と共有することによって、中国の武術が更なる発展を遂げていくことが望まれています。以上、中国武術についてその歴史と四大流派についてご紹介いたしました。

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狩り                              打猎

頻発                             屡次发生

構え                         架式

矛                                 戈

棍棒                            棒子

刀                               刀

斧                                斧头

槍                                长枪

征伐                             征伐

盾                                盾

剣                                剑

瞬く間                           瞬间

フェイント                     佯攻

筋骨隆々                     肌肉发达

つわもの                      能手

卓越                             超群

豪傑                             豪杰

百家争鳴)               百家争鸣

様相                            情况

呈す                            呈现

育む                            培育

一躍                           一跃

褒美                            奖赏

流れを汲む                属于~流派

剛直                           刚直

TAG:中国 文化 国武
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Guest (2009-5-07 16:19:10)

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